2019年7月30日火曜日

松江出雲弁保存会総会

松江の出雲弁保存会総会が7月28日(日)午後3時から
 
開催され参加してきました。
 
 
 
 
会長は、小林忠夫さんです。
 
松江ライオンズクラブ所属中の先輩でもあり
 
現在も商売の関係も含めお世話になっています。
 

 
 
昨年の事業報告、そして今年度の計画の部分でも
 
「とうほん倶楽部」の『酒(シュ)タンプラリー』に関係する部分で
 
足立真智子さんも資料に基づいて報告されました。
 
 

 
 
これが今年のパンフレットです。
 
今年は、9月8日です。
 
 
 

そして警察のOBの方々が出雲弁で「振り込め詐欺」の

防止啓蒙活動の寸劇が披露されました。


流石に警察官のOBの方々でもあり、現実味を帯びた

ユーモアたっぷりに演じられ笑いを誘っていました。

 

 
 
出演者の中には、松江武者行列の第14代堀尾吉晴公役の
 
宍道町の安井会長も出演されていました。
 

 
 
そして、出雲弁と言えばこの方藤岡大拙さんの
 
特別講演も開催されました。
 

 
 
 
いつものことではありますが、
 
面白おかしく「出雲弁よもやま話」を語って頂きました。
 
 

 
 
懇親会は、場所を替えて「蓬莱荘」で17人の参加で賑やかで
 

有意義な懇親の場になりました。

 



今年は、123名の会員になりましたが来年は、

150人を目指すことになりました!!

 
 
 

2019年7月29日月曜日

松江大橋と大橋川

『白潟歴史まち歩き楽会』の7月例会。

久しぶりに参加しました。





 

講演に先立ちまして事務局長 仁田玲江先生から講師紹介。



 

「大橋川」と「大橋」の名称由来について

 
というとても興味がある演題で講師は、
 
松江市歴史まちづくり部 史料編纂課 稲田 信氏です。

 
 
パワーポイントで32枚分の資料が準備されていました。
 

 
 

 大橋川と大橋の名称はどちらが先に付いたのか?
という質問が寄せられたのが発端。

 

結論としては「大橋」は江戸時代初期から。

「大橋川」は、明治16年以降。

 
「大橋川」と言うのが意外と新しいのに驚いた!!
 
 

 

 「大橋川」についての名称由来。

大橋川は、中海と宍道湖をつなぐ水位差のない水路。

 

 
 

 国土交通省の捉え方は、1級河川 斐伊川の一部であること。

 

 
 
 「出雲国風土記」にもその風景が描かれている。
 

 
 

 中世の中海と宍道湖の間の水域イメージ。

 




 
 
地質学的には、1635年~1639年ごろに斐伊川は、東流した。
 
はたして、ほんとうなのか??
 
私が生まれ育った出雲平野は、室町時代末期の大洪水の結果
 
それまで大社方面に流れていた(斐伊川の西流)が
 
流れが変わって宍道湖に流れるようになって
 
後に出雲平野が出来た~~~と聞いていました。
 
武志町(アシやヨシがたげしげっていた)中野、高岡、平野、稲岡
 
そして川跡、平野、などその土地の状況変化に
 
呼応した住所名が今日も残っている。
 




1605年から堀尾吉晴が5年かけて松江城の築城をして次の藩主
 
京極氏が斐伊川の洪水の後の「若狭土手」と言われる築堤をしたこと。
 
そして松平直政が松江藩主となった頃にもし、
 
斐伊川が西流から東流に代わるほど(宍道湖に流れる水量が3倍になる)の
 
大変化があったとすれば当然、そのころであれば
 
しかるべき古文書や文献で紹介されているはずで
 
最後に私はそのことを質問・意見のなかで申し述べておきました。
 

 




最期の「おわりに」にも紹介されていますが
 
今日の話を聞いて感じたのは、松江の歴史を松江だけの歴史で
 
見るのではなく周辺の町村のことも含めて調査すれば
 
地質学上の宍道湖の堆積物の年代で1630年代後半に「東流」したなど
 
明らかになるはずで????という印象です。
 
 
 
まあ、こういうことが分かるのも今日のような講演を
 
お聞きしたことによるもので人の話を聞くことは大事なことと強く感じました。
 
 
 

「白潟歴史まち歩き楽会」いつもいい勉強をさせて頂けます。

 

感謝です!!


 



2019年7月27日土曜日

月照寺!!⑦八代斉恒公廟所

月照寺の松平家歴代藩主のお墓、一番奥から右手へ。

8代藩主斉恒(なりつね)公の廟所です。






月照寺の歴代藩主の順番でないのがどのような理由が

あるのでしょうか?

住職に改めて聞いてみようと思います。





此方の廟門の扉の彫刻は、五七の桐です。






ここでも梁の下の籠彫が立体的ですばらしいものでした。
  






此方が垂木が筆返し彫刻になっております。
今まで気がつきませんでした(泣)






お墓も立派な五輪塔です。


続く

2019年7月26日金曜日

第1回松江護国神社参拝と講話!!

「松江護国神社を正式参拝をする会」を立ち上げました。
 
令和元年7月26日13時30分から正式参拝。
 
この日「梅雨明け」になり急に33度となりとても暑い日になりました。
 
 
 

 


 
参集殿での工藤智恵禰宜様の講話です。
 
この日は事前の予約は、20名でしたが結果18名の参加でした。
 
(女性15名、男性3名でした。)
 
 
 
 
 
参集殿は、正面に祭壇が設えてありモニターも準備されています。



 
 

「千の約束」のCDや書籍の紹介もされています。

 

 
 
お話しは、先ず硫黄島での厳しい任務を与えられた
 
英霊と御家族の話です。
 
そして家族でも兄弟愛をテーマにした海軍の軍人さんのお話。
 
これも最終的には、19歳で戦死。

お母さんの落胆の状況と妹さんの戦後の生活こと。
 
CD「千の約束」のモデルとなった出征兵士と娘さん、そして奥さんとの
 
家族の絆の話。涙なしでは聞けないものです。
 
この話の後に出来たばかりの「千の約束」のCDの披露もありました。
 
 

 
 
そして、後半は先日出雲駐屯地でも紹介された「ザ・ボーンマン」として
 
オーストラリアでは、書籍にもなっている西村幸吉さんの
 
26年間のニューギニア遺骨収集事業。

生きて帰国できたのは、傷病兵の決死の抵抗であり、
 
結果的に戦友を置き去りにしてしまった。

その戦友に対して「骨を拾って必ず日本へ返す」と言う
 
約束を果たすために家族の反対を押し切って60歳で事業を
 
息子らに引き継いでニューギニアに渡った。
 
DVDでの紹介。


その西村さんと工藤禰宜さんの不思議な関係。




松江を離れていない工藤さんがニューギニアで
 
西村さんの車いすを押した。
 
その縁で松江護国神社の例大祭に参拝の時のエピソード。


実名で当時の地本部長や米子駐屯地司令が披露されました。
 
 
最後に「信義を重んずべし」
 
 
そして子供教育に関しても絵本の内容が重要。
 
 
最後に出雲市出身の航空士官学校
 
56期進藤命、就武台の5省のこと、奥井命、
 
さらに小野田少尉のことを紹介され戦前の精神教育の
 
素晴しさを紹介されました。

3度目の聴講でしたが、また感動・感銘をうけました。
 
聴講の皆様もそれぞれ暫く声の出ない感動を受けていらっしゃいました。



 
 
 
写真の順番が違いましたが最初の拝殿での正式参拝の様子です。

外がとても天気が良く逆光になってうまく撮れていませんでした。
 
 
次回は、美保分屯地でCH-47の大型ヘリの部隊を
 
見学することで決定を致しました。
 
 
姫野司令に早速アポイントを取ろうと思います!!
 
 
 
 
 
 

2019年7月23日火曜日

月照寺!!⑥二代綱隆公廟所

月照寺の廟所の一番奥に所在するのが、二代藩主綱隆公
のお墓です。









こうして一番奥の石段で上がったところにあります。



廟門の扉です。

至ってシンプルです!!




それぞれ藩主の廟門ですから立派な造りですが
この二代の綱隆公の廟門は特にシンプルのように感じます。





お墓も玉垣がシンプルで五輪塔も大きさは

大きいですがシンプルなものです。




ここの紫陽花は、綺麗に咲いていました。

一番、奥だからでしょうか?




天水鉢の石が際立っていました。



一口に藩主の廟所でも色々特色があるなあと感じます。


続く





2019年7月22日月曜日

月照寺!!⑤九代斉斎公廟所

3代綱近公の廟所」の更に奥にあるのが
九代斉斎(なりよし)公の廟所です。






鷹が大好きな殿様でそして、栗ごはんと
風呂吹き大根が好物であったという
ユニークな殿様だったそうです




沢山の廟門の中でも屋根の厚みが立派です。




廟門の扉です。





ここでも葵がモチーフの彫刻ものがあります。






屋根と梁の間の彫刻も表と裏からも見れる
両面彫りで立体的な素晴らしい見応えのあるものです。





廟門の奧に立派なお墓です。





こちらの廟門の柱と梁の間の彫刻です。

細かな透かし彫りで『籠彫り』と言われるものでした。

続く






2019年7月20日土曜日

月照寺!!④三代綱近公廟所

本堂を寄進された5代宣維公の隣に
 
月照院様の五輪塔。

 
 
 

そして右手に立派な廟門が見えます。





3代綱近公の廟所です。






廟門の扉の彫刻が目を惹きます。





五三桐紋が欅に彫刻してあります。

下地の彫り物の上に葉脈もくっきり素晴らしく緻密な彫刻です。



更に升で囲まれた4つの彫刻のモチーフは
「葵」をデザイン化したもので
これも見応えがあります。






廟門の天井梁の下の彫刻も深彫りで、
これも欅の材料でもあり手間暇のかかったものと感心します!!





3代綱近公のお墓です。
このお墓は、五輪塔の基本型のようです。


続く