灘町出身法律学者「梅 謙次郎」!!
11月4日(土)13:30~15:00「白潟歴史まち歩き楽会」の
今月の定例会が白潟公民館で開催され参加してきました。
正直、11日の講演会まで一週間と迫っている中で
聴講できるかどうか迷っていましたが、
240名の登録を頂きましたので参加しました。
この日の演題は「灘町で生まれた『梅謙次郎博士』」で
講師は、野島幹郎弁護士です。
開会と司会は、仁田玲江さんです。
歴史まち歩き楽会の川井会長の挨拶です。
講師の野島弁護士は、東京大学法学部を卒業後松江で
法律事務所を開設。島根県弁護士会会長もお勤めになっています。
沢山の資料を基にお話をお聞かせいただきましたが~~。
祖父の道竹氏からく句読を習う。
6歳の時に澤野 含斎の「培塾」に入門。
9歳の時に藩校の「修道館」に入学。
15歳の時に陸軍幼年学校受験失敗。
そして東京外国語大学校に入学。
兄、錦之丞は東京大学医学部に入学、ドイツに留学。
謙次郎も東京外国語大学校を首席で卒業。
26歳でフランス・リヨン大学に留学。
30歳で東京大学法科大学教授に就任。(月給100円)
30歳から32歳まで民法典論争を穂積八束などと行う。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とも親交があった。
明治37年八雲が亡くなった時には、葬儀委員長を務めた。
50歳で亡くなる。従三位 勲一等瑞宝章受章。
プラバホールの庭園に設置されている梅 謙次郎の像。
生誕地の場所。
生誕地にある御影石の標柱。
近年、雑賀町で生まれた若槻禮次郎氏や岸 清一氏の
紹介は結構なされていますが、梅 謙次郎先生の
ことはあまり知られていません。
この日は、詳しく年表に従って詳しく教えて頂き有益でした。
特にこの梅謙次郎氏の祖父や父などに影響力を
持っていたのが雨森精翁であることに驚きでした。
論語の会で幕末の松江藩にとって大変な影響力を
発揮していた雨森精翁との関連を強いことに
関心を持ちました。
是非、桃家と雨森との関わりについて
研究したいと強く感じました。
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