2018年4月22日日曜日

松江の航空の歴史!!

私の住んでいる「人参方町内」の総会が開催されました。

今年も天神町にあります「(株)江友」さん所有の

「白潟サロン」です。

総会の後、(株)江友の伊藤社長から

「写真で見る白潟の交通路(航空編)」を聴講しました。

昨年も貴重な話をお聞かせいただきています。

http://obamayasuhisa.blogspot.jp/2017/03/blog-post_29.html

 

今回は、水上飛行機のお話でした!!

 
 

パワーポイントを活用しながらの講演です。

 

 

伊藤社長は、「白潟歴史まち歩き楽会」でもご活躍ですが

写真をデータ化して保存なさっています。


松江市に初めて航空機が飛んだのは、井上中尉が

古志原の練兵場で公開した時だそうです。

 

 

その時の飛行機の名称は「つるぎ」だったそうです。


 

現在の工業高校にところが連隊の所在地、

古志原の練兵場は、道路を挟んで北東部の

堤との間にあったようです。


大正6年6月6日には、アメリカのアクロバット飛行士アートスミスが

古志原の練兵場でアクロバット飛行を展示したそうです。

上の記念写真には、川井市議のおじいさんも後列右から

二番目に写っているそうです。

それにしても驚きです!!

大正6年にすでに「アクロバット飛行」がなされていたとは~~??

 

 
 

このアートスミスは、全国あちこちでアクロバット飛行展示していたようです。


 

大正6年6月6日での複葉機の飛行機と

パイロット、アートスミス氏。

この時、見学のために入場券は発売されたそうですが

ご承知の通り飛行機の飛行は、空の上であり、

「全く入場券を購入する必要はなかった」という

エピソードも披露されました。

 
 

 

アクロバット飛行と言えば美保神社の前宮司のご子息が

パイロットをされていて美保湾で凱旋飛行を

なさったことを思い出します。

 
 

 

宍道湖上を飛行、翼の下に嫁が島、左上に浜乃木や

さらに左には円城寺の山が確認できます。


 

同じ時の飛行で松江城も撮ってあります。

 

 

松江市内の航空写真(大正6年当時)

大橋川には、松江大橋と以前の新大橋?

が架かっています。

中央の白く斜めにあるのが米子川だそうです。

 

 

上は、2年前の航空写真の様子です。

白潟地区の様子は、赤線で区別してありますが

埋め立てられているのが良く分かります。


 

やがて城崎と松江の定期航空路が開設され水上飛行機が

3機で運航され、初日には、松江大橋に沢山の

市民が歓迎をしたそうです。




 

白潟沖(灘町)に基地があり、同じく沢山の市民が見物したようです。

大正6年の初飛行から14年後の昭和6年10月10日

松江に定期航空路が出来たのです。

 

因みに城崎から1時間20分だったようです。


 

灘町の見物客。

合計7,000人の見物客だったそうです。

 
 


 

この飛行機は「城崎1号」で白潟沖を基地として運行、

昭和8年から営業運行したそうです。

 

 

その時の格納庫がこれで昭和40年代までは、

現在のNHK前の昔青少年センターがあった所の隣りにあり、

プロレスの興行も行われていたそうです。

隣には宍道湖の水を利用したプールもあったそうです。


 

昭和8年7月11日に城崎との定期航空路が開設され

この飛行機は、三菱14式4人乗りだったそうです。

 
 

 
 

城崎からやがて大阪との運航になり、

約10年間無事故であったことが誇りだったようです。

 

戦時中に民間の飛行は中止されたようです。


 

そして一昨年、尾道の会社が松江、尾道間の運行を計画、

すでに中海の本庄周辺に離発着の施設が作られているそうです。

 

 
 

松江が大正時代から航空機の導入を計画し

定期航空路を持っていたことは、当時の日本海側では

かなりの有力な街であり、尚且つ地元の経済人の

先進性が想像できるもので誇らしいことです。

江戸時代からの白潟商人の存在感が偲ばれる

素晴らしい講演でした。

 

町内会長も

「毎年有益なお話が聞けてこの総会が楽しみです」と

謝辞を述べておいででしたが全く同感です!!

来年は、どんな話題になるのか今から楽しみです。

 

因みに2年前は、「人参方の歴史」でした。

http://obamayasuhisa.blogspot.jp/2016/04/blog-post_24.html

 
 
 
 
 
 

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