2016年10月4日火曜日

志大塾41講~世界一受けたい(!?)大塾授業~

10月の志大塾は、塾頭 川上 大先生の講師で

「世界一受けたい授業」シリーズでした。

 

中学生向け社会科授業「近現代史」

 

この志大塾には、塾生の中で優秀なスーパー書記がいて

毎回、素晴らしい議事録が出来ています。

今回も翌日に以下に転載している議事録が

提示されましたので私もブログとしてアップしておきます。

 
 

塾頭挨拶での川上 大 先生です。

 
志大塾第41講(H28.10.3 19時~21時)議事録①
メインテーマ:「世界一受けたい(!?)大塾授業」
...
<塾頭挨拶>
◎松江城大茶会(10/1・2)
・・・・TSK取材、2年後の松平不昧公200年祭に関連して10/3 6時台のニュースで
◎第5回志大塾ゴルフコンペ(9/11・出雲空港カントリークラブ)
・・・・定員20人いっぱいで盛大に開催
◎安来市長選挙(9日告知 16日投開票)に、本日、同志のお一人、葉田茂美氏(65)が出馬会見・・・3選を目指す近藤宏樹氏と一騎打ちの公算大 選挙を成立するために
来春の米子市長、出雲市長も同様に候補が出ない・・なぜなのか? 日本の政治が劣化していくことを危惧している。
◎小久保裕紀侍ジャパン監督からの便りを紹介
小久保氏・・・ソフトバンク~巨人で4番を務める。小久保氏のリードブロッカーが山中正竹氏(バルセロナ五輪日本代表監督)。山中氏の野球殿堂入りを祝う会~12/2に開催
<中学生向け授業「近現代史」>
塾頭の今日の目標:参加者が「もう一度受験をしてみたい!」と思うようになる授業をしたい!
1919~1929・・・軍備縮少時代
☆1929語呂合わせ「ピ(1)・ク(9)ニ(2)・ック(9)する気にならない世界恐慌!」と覚える
【世界恐慌時代の各国の政策】
 ・米国ニューディール政策・・・ケインズ理論を参考に。土地が広大で国のお金があった米国では公共事業をした。壮大な実験。都市に失業者があふれた・・テネシー川のダム事業etc.の公共事業  (例)失業者に給料(1万円)五千円を飲み屋に使う飲み屋のママは、3千円の服を購入する※それぞれが全部を貯蓄に回さないでお金を使う事がポイント!  結果、1万円の投資が、1.8万(1万+5千円+3千円)の経済効果をもたらした!これを「乗数効果」という。
 ・英仏ブロック経済※自由貿易経済を無くし、その国と植民地間だけで経済をまわす政策
・ソ連たまたま計画経済の「五か年計画」の最中だった※「共産主義は、恐慌に関係ない!」と世界中で共産主義者が絶賛
これらの国々に対し、日本、ドイツ、イタリアは「ファシズム」に走った!
・・・②につづく・・・
 
 

 
 

この通り、ユーモアも交え塾生の関心を惹きつけながらの

とても魅力ある授業です。

 

 

西暦1929年の世界恐慌から1956年の日本が国際連合に加盟を

した時までの27年間の歴史です。

私も含め日本人が最も知らされていない、あるいは間違った

認識をせざるを得なかった時代です。

 

議事録の続き②です。

 
メインテーマ:「世界一受けたい(!?)大塾授業」
<中学生向け授業「近現代史」>・・・つづき・・・...
 
年号の覚え方・・・◎の年のみが偶数、他の☆の年は奇数(基本的に、奇数の年号を覚えればよい!)
☆1931(世界恐慌の2年後)満州事変が起こる
◎19325・15事件・・・犬養毅首相暗殺
若槻礼次郎氏(島根出身の総理大臣)(※満州事変を拡大したくないという意見)の後、犬養毅が総理大臣になった犬養毅が5・15事件で暗殺されたが、若槻礼次郎も暗殺される可能性があったかも?
◎19362・26事件・・・ベルリンオリンピック=ヒトラーのオリンピック
「前畑、頑張れ!」オリンピックの年(4の倍数の年)に事件が起こっている。
ちなみに1940年(東京開催予定)、1944年は戦争中でオリンピックができなかった・・  
・2・26事件(陸軍)と5・15事件(海軍)では、どちらが規模が大きいか?
・・・海軍の一部将校が決起した5・15事件ではなく、陸軍が起こした2・26事件が圧倒的に大規模。首相暗殺に失敗し、反乱軍は翌日には鎮圧されたが
→ますます「ファシズム」の傾向が強まる
☆1937・・・日中戦争 ※2・26事件の翌年に日中の本格的な戦争が開始される
☆1939・・・第二次世界大戦(独vs英仏)
☆1941・・・太平洋戦争(日vs米英)
☆1943・・・イタリアが降伏
☆1945・・・ヤルタ会談(ソ連が介入する密約※ただ、なかなか介入しなかった)
独降伏、8/6(広島)・8/9(長崎)原爆が落とされる
8/8~ソ連が介入、つまり、ソ連は1週間しか参戦していない
8/15にポツダム宣言を受け入れ、終戦を迎える(日本を東日本と西日本と分けることをソ連は要求したが、米国がそれを拒否。日本も東西ドイツの様になっていた可能性も有)
※国連の常任理事国である五大国(中国・英、仏、米、ソ連)は戦勝国!
・・・③につづく・・・
 
 

 

流石に色分けをしながら分かりやすくホワイトボードを活用して

授業が進んでゆきます。

 
【戦後の流れ】
☆1945・・終戦 
 
☆1951・・サンフランシスコ平和条約→日本が独立を回復した
日本がこんなに早く独立を回復できたのはなぜか?
◎1950~朝鮮戦争が始まる(~1953年)
前年の1949年~中国本土が共産主義になった(毛沢東が指導者、蒋介石は台湾に逃げた)。共産主義の中・ソのバックアップで北朝鮮の金日成が優勢→米国は共産党に対抗する意味で、日本をバックアップした。また、日本は戦争の「特需景気」にも沸いた。
 
◎1956・・日本の国際連合加盟  それまで五大国のうちソ連が拒否権を発動してダメだったが、米ソが若干雪解けした隙に、ソ連と日本が国交を回復国連に加盟できた
(朝鮮戦争情勢について)
当初、中国、ソ連がバックアップする金日成が勢いが強かった。GHQ総司令官だったマッカーサーが仁川上陸作戦!※現在の仁川国際空港のある付近・・・(南端に残っていた)韓国軍との挟み撃ちで北朝鮮を打ち破った。この話を詳しくしてくれたのが、開星高校の修学旅行の際の韓国の旅行会社(日本のJTBの関係会社)の韓国人ガイドさん。
また、「時間が余ったので調整の為にある場所に行っていいですか?」と言われ、「安重根の碑」があるソウルにある有名な公園に連れて行かれた。安重根は伊藤博文をハルビンで暗殺した、日本にとっては、犯罪者。しかし、韓国では英雄。韓国の歴史観を一方的に聴かされた。それは意図的なものであったのではないか?と思っている。
韓国国内ではそういった歴史教育をしている→韓国に都合のいい歴史教育・・・日本も対抗しないといけないが、日本では近現代史をそこまで教えない。日教組が強かったこともある・・・(しかし、大学入試には近現代史がたくさん出る。) 
・諸外国では近現代史をしっかり教えて、自国の歴史に誇りをもてる教育をしている。
・1945 8月15日 終戦  1946年11月3日 日本国憲法公布 1947年5月3日 日本国憲法施行 終戦後すごいスピードで憲法を日本が作った・・・実際その素案は、アメリカの大学院生が作ったものというのが定説。日本語としてはおかしな文章・・・こんなことをいったら日本の憲法学者に批判を受けるが・・(苦笑)
<今後の予定の確認>
11/7(月)・・・メンバーである仲田氏に橋下徹氏の出雲での講演会の報告と大阪活性化の成功例である大阪黒門市場視察報告(講演会で関心を持ち、個人的に出かけられた!)をしていただく。(講義後の懇親会で決定!)
12/5(月)・・・「忘年会」
<その他>
(小汀氏より)
楽山焼~豊臣秀吉の朝鮮出兵後、有田焼・萩焼(山口)の一番東にある。知っておかないといけない松江の大切な歴史ではないか?
(塾頭より)
9/10(土)、松江市内で第4回島根赤門会が開かれた。4年前、東京の本部から川上に依頼があって、仲間と発足させた会。初参加の松浦正敬氏が冒頭に挨拶。歯の浮く様な挨拶をされた(笑)。
「ここにいる川上大氏とは過去二回松江市長選挙を闘って、僅差で勝たせていただいた間柄。毎回、誠に当を得た政策提言をされるので、その後の政策に川上大氏の言った政策も採り入れてやってきたつもり・・。」会場が沸いた!
「市長選挙に出ることを決意した松浦氏が、川上が選挙に出ないということで安心してリップサービスしたのではないか?」という憶測→その翌日に市長選挙出馬の新聞報道(笑)。
今後は、志大塾の皆さんとともに「市民のためになる」政策を提言できたら、と思っている。次の市議選、市長選挙についても、今後の塾で、意見を表明していきたい。
・・・おわり・・・  
 
 

 

今回で41回目。

3年半の期間です!!

この日は、13人のご出席でした。

正直、塾頭自身も継続するかどうか迷われた時もあったと

感じていますが「塾生が一人になってもやる!!」と続いています。

この日も、失礼ですが<後期高齢者>の女子お二人も

「なんもわからへんかったけど、おもしろいわ~~」

「10代の時に川上先生にお会いしたかったわ~~」

と絶賛でした。

私も、自衛隊に入らずに川上先生の塾に入っていたら

東大は無理でも東京の方の大学には入れたのではと、

ちょっと残念な気持ちがしています(笑い)

 

不昧公ゆかりの茶室『明々庵』デビュー!!

松江城大茶会の赤山茶道会館での茶席にお世話役を

されている知人を<激励>に向かいました。

北堀の知事公舎の前を通り坂を上がった

「明々庵」の左奥ですが、折角なので先に明々庵を訪ねました。

 
 



 何か期待させる、入り口の門です。

屋根の苔が何とも歴史を感じさせます!!




茶室『明々庵』に通じる飛び石です。

この奥に「飾り雪隠(かざりせっちん)」のある

「腰掛待合」を通って茶室へ向かいます。

 

 

この茶室が『明々庵』です。

松江藩第7代藩主松平不昧公の好みによって建てられた

茅葺、入母屋造りの二畳台目と四畳半の席が

組み合わされた定石に頓着しない独特な造りです。


 

「にじり口」で右側には武士の茶室らしく、「刀掛け」もあります。


 

先ほど受付でお目にかかった森さんが説明にお出て下さいました。


 

「刀掛け」です。


 

腰掛待合で待っている客を案内するのに

「準備が出来ました」と合図になるのが、

こちらの穴と竹箸です。

この穴に青い葉っぱを入れると「準備が出来ました」

という合図だそうです。


 

庭園内には、所々に立派な石灯籠があります。

この灯篭は、不昧公の奥様が仙台の伊達家から

お越しでその伊達藩の門が笠に彫られています。

 

徳川家家紋の「三つ葉葵」と

伊達家の家紋「仙台笹」(竹に向かい雀)のようです。


 

塀の欄間は、透かしになっており、小林如泥作と言われています。


 

茶席券を求めていましたので「百草亭」に入室。


 

お菓子は、「若草」と「菜種の里」です。

もう一つ「山川」も含め不昧公好みのお菓子だそうですが

「明々庵」では三英堂製の菓子だそうです。


 

庭の先に「明々庵」の茅葺の分厚い屋根が見えます。

手前の松が樹勢の割に幹がとても細く丹精されての

ことであろうと感服でした。


 

床の上には、『明々庵』オリジナルの茶器の紹介がされています。


 

森さんのサービスで薄茶を二服、頂戴させて頂きました。

途中再び森さんが入室、「百草亭」の説明を再び頂きました。


 

庭の中央の松です。

樹の大きさに比べ幹が極端に細いです。


 

庭内には、形の独特な灯籠が沢山あります。

 

 

 

 

 

仙台伊達藩の紋、「笹に向かい雀」

 
 

明々庵と赤山茶道会館の入り口の所の展望台から松江城を望む。

 

 

北堀から明々庵下を通って万寿寺通りに抜ける道。

風情がある通りです。

 
 
 

左が知事公舎、右が又賀家です。

 

松江の高級住宅街です!!

 

当初、赤山茶道会館での茶席に行くつもりでしたが、

森さんとお会い出来たことにより赤山会館は行けませんでしたが、

丁度お役を終えて退席される川上さんにお会い出来て良かったです。

先日、楽山窯の長岡空郷さんにお話を聞いて、

今回「明々庵」を初めて訪問し、2年後の

不昧公没後200年の大茶会に向けてお茶の世界を多少なり

とも知ることが出来たことに感謝です!!

 

 
 
 

2016年10月3日月曜日

白潟歴史まち歩き楽会11月例会「須田主殿さんの考古学資料から」

10月1日(土)に白潟公民館で開催された白潟歴史まち歩き楽会

に参加してきました。

今回は、この春に発足した「須田主殿研究会」と

公民館の高齢者教育の事業との共同企画での開催でした。

講師は、須田主殿研究会の副会長、勝部 昭先生で

演題は、「須田主殿さんの考古学資料から」

 
 
 

最初に楽会の事務局長仁田先生が挨拶。

そして講師紹介を須田主殿研究会の岡田事務局長が

講師紹介をなさいました。


 

 


 

20人余りの参加者でした。


 

講師の勝部先生です。

流石に元技術職にあった人らしくパソコンもパワーポイントも

駆使しての講演でした。


 

冒頭の講師紹介をされた岡田さん所蔵の資料を拝見して驚嘆した。

 

 

須田主殿の略歴や調査研究の内容について年代を追って

詳しく説明を頂きました。

 
 
 

古墳の研究について、県内の出雲地方ばかりでなく石見、

特に隠岐の島での調査は島後ばかりでなく

知夫村などの各島々にも及んだようです。

 

 
1時間余りの講演が終了すると岡田さん提供の須田主殿の
 
調査研究資料の数々を聴講の方たちに披露頂きました。
 
 
 

誠に几帳面な資料で手に取って拝見し、不明な点について

勝部先生にお問い合わせをさせて頂きました。

私は、須田主殿氏は松江城の

昭和の大修理(昭和25年から30年)の記録をまとめられた

との認識でしたが本業は、考古学の分野であったことがよくわかりました。

 

 

 

聴講のご婦人が「私が知っている所の地名が出ていると

親近感が湧くなあ」と資料を見ながら仰っていたのが印象的でした。


 
 

文字でばかりでなく、詳しく細かな図も記載してあり、

昔の人は凄いな~~と感服するものでした。

こうして貴重な資料を直接目にしながら勝部先生の

ような地元の歴史文化研究者のお話をお聞かせいただきます

ことに感謝申し上げます。

 

白潟歴史まちあるき楽会にも感謝したいと思います。