2016年6月30日木曜日

お江戸めぐりその7「神浦同期、偲ぶ会」

6月19日(日)東京市ヶ谷ホテルグランドヒル3Fで、

5月4日に66歳で亡くなった少年工科学校の同期、

神浦元彰氏の「偲ぶ会」が開催され、丁度父兄会の総会

に出席のため上京していましたので参加しました。

 
 
 

生徒の同期生45名ほど。あと神浦氏の友人知人、家族親戚の

方がほぼ同数の90数名の参加でした。


 

司会の方は、神浦氏の知人の奥様だそうです。

美しく言葉も綺麗でチャーミングでしかも機転の利く方でした。


 

我々の母校、少年工科学校の先輩(5期)福田さんの挨拶です。

週刊プレイボーイの編集長をされていて

神浦氏が軍事評論家として活躍できた恩人であった方です。


 

私らの同期会の永久会長、稲村氏です。

私が初めて参加した30周年の時から

常に同期ばかりでなく後輩からも頼りにされ、慕われている方です。


 

思い出の写真が披露された中に、富士の総合火力演習に

一緒の行った時の写真があり、私と「さちこ」さんが

写っていてビックリポンでした(笑い)


 

料理の中には、神浦氏が広島出身と言うことでヒロシマ風お好み

焼きが並んでいました。


 

この「偲ぶ会」参加者で最も有名な方軍事評論家小川和久先輩。

少年工科学校の5年先輩で7期生で現在静岡の大学の

特任教授をおつとめです。

「奥様より古い40年の付き合いです」とユーモアも交えて

神浦氏が大変薫陶を受けたことが理解できました。

福田先輩や、この小川先輩のおかげがあったことが初めて分かりました。

 
 
 

私も、世話役の北島同期の高配でこうして終盤でスピーチの

機会を与えて頂きました。

申し上げたのは

「非常に若いご逝去ではありましたが、46日目にこのように

沢山の方を集めて偲ぶ会を開いて頂けるほど

人徳のある神浦氏は同期の誇りです!!」と

結びますとこの日の一番の拍手を頂きました。

 

 

神浦氏の遺品が展示してあるものに少年工科学校の卒業の

写真集があり、その中に6教1区隊の寄せ書きがありました。

 

私のはどれでしょう?

 

左上の英字の「習うより、慣れろ」

あるいは「練習が完全をもたらす」

または、「継続は力なり」と言う意味です。

Yasuhisa-Obama  

です。

今、私が座右の銘にしている

曹洞宗の始祖 道元禅師のことば

「今の一当は、昔の百不当の力なり」と同様な

意味であります。

16歳の時にすでにこのようなことを描いて

いることに驚きです。

 

何と、カッコイイ!!と思います(笑い)

 

当時、私は通信教育でレタリングをしていて特殊なペン先で書いたものです。

 

懐かしいです!!



 

しかも同じページに私がデザインした6教の区隊旗が

掲載されていました!!

これもとても嬉しいことでした。


 

神浦氏は、写真も本職であったようですし、

趣味のヨットや自転車に関連するものもたくさん並んでいました。

貴重な体験でした。

神浦さん有難うございました。

ゆっくりお休みください。

 
 
 

この後も、場所を代えて楽しい楽しい二次会が開催されました。




 

2016年6月28日火曜日

お江戸めぐりその6「父兄会総会」

18日から22日までの今回のお江戸行は、これが目的!!

「第40回 公益社団法人全国自衛隊父兄会総会」

21日(火)10:00~19:30まで

東京市ヶ谷 ホテルグランドヒルにて。

 
 
 

伊藤会長の挨拶で総会が開会されました。

 
 
 
 

27年度の事業報告を中国地区担当の小松運営委員がなさいました。

 
 

佐田事務局長です。

 
 

宮下理事です。

この方は、9月3日に松江で開催する

全自父主催の防衛講演会の講師を務めて頂く方でもあります。

元西部方面総監をお勤めでありました。

 
 

海沼理事です。

この方は13旅団長そして退官前は幹部学校校長をなさっていました。

 
 

会議が終了した後、表彰式でした。

 
 

島根県自衛隊父兄会は、またも表彰されました。

私が承知している限りではこの10年位の間に今回で5回目のはずです。

会長に就任して初めての総会でこうして

表彰を受けるとは光栄なことであります。

 
 
 

式典冒頭は、中谷防衛大臣が祝辞を述べました。

後から分かりましたが北朝鮮が「ムスダン」を発射する

可能性があるということで入間基地からPAC3の配備を

市ヶ谷にする命令を出してこの式典であいさつをして、

終わってから夜TVにも出た記者会見をしていたようです。

 
 

総会会議・表彰式・式典が終了して会場を替えて

懇親会が始まりました。

最初の挨拶は、「ヒゲの隊長」佐藤正久参議院議員でした。

 
 

続いて明日の告示を前に同じく自衛隊出身の

参議院議員宇都隆史議員がユーモアを交えてご登壇。

 
 

いつものツーショット。トップは、ヒゲの隊長「佐藤正久」氏。

 
 

続いて、宇都隆史参議院議員

 
 
 

続いて制服組トップ、統合幕僚幕僚長 河野海将。

 
 

続いて、陸上自衛隊のトップ陸上自衛隊幕僚長 岩田陸将。

この方は、私の弟 利夫君が日本原の13戦車にいた時に

初任小隊長で一緒に車長と砲手で仕事をした方です。

 
 
 

航空自衛隊のナンバー2航空自衛隊副幕僚長 丸茂空将。

 
 

そして、このベッピンさんは自衛隊父兄会の

機関紙「おやばと」のコラムを執筆されている桜林美佐子さん。

この日は、40周年の感謝状受賞されての出席でした。

 
 

海沼理事です。

この方には13旅団長をなさっている時に何度かお会いしています。

退官前に幹部学校の校長をなさっていますが、

同期の葛原氏のことを申し上げると

「いや~~、葛原さんにはわからんことがあると

いつも教えてもらってました~~」と気さくな面を

見せて頂きました。

 

2016年6月27日月曜日

お江戸めぐりその5鶴岡八幡宮

紫陽花の名所「明月院」を後にして北鎌倉からJR鎌倉駅へ~~。

 


流石、観光都市 鎌倉にふさわしい洒落た感じの駅舎です。



 

正面参道の一つ西側の駅からすぐの「小町通り」です。

土曜日とは言え大変な賑わいです。

浅草の仲見世や伊勢のおかげ横丁の感じです。


 

この通りにも、こうして紫陽花を販売している店が数店ありました。


 

このお店は、「手ぬぐい」を主に扱っている店です。

大変な品数です。


 

このように楽しさげな店がいっぱいあって女子3人は、

思い思いに各店に入って行くもので「迷い子」になりながら合流して

やっと鶴岡八幡宮に着きました。

 

 

大きな鳥居の下に太鼓橋があってその奥に拝殿の大きな屋根が見えます。


 

途中の神楽殿では、丁度結婚式が挙行されていました。

巫女さんにツーショットをお願いしたら

「ダメ、ダメ」と振られてしまいました(笑い)


 

拝殿の前です。


 

「宮参り」と思われる参拝者の方も一組いらっしゃいました。


 

帰りに神楽殿の横に来ますと先ほどの婚礼の方が式を

終えて移動されるところでした。黒山の人だかりでした。


 

鳥居の下で改めてご挨拶しました。

約50年ぶりの参拝でした。


 
 

新しく整備された正面参道です。

 

 

参道の両脇にも、沢山の土産物を中心とする店が並んでいましたが、

紫陽花を販売する店が結構ありました。

 

これでお江戸に帰ります。   つづく

 
 
 
 

お江戸めぐりその4「鎌倉アジサイ寺」

同行した3女(?)4女(?)が「迎賓館より鎌倉の紫陽花が見たい」

とのリクエストで18日(土)羽田到着後、

品川駅のトイレで「衣替え」をして鎌倉に向かいました。

いつものことですが4女(?)はネットで調べていて

鎌倉での紫陽花の名所は「明月院」と言うことでした。

 
 

鎌倉駅の一つ手前の北鎌倉駅で下車、500メートルほど

線路沿いを歩いたところに「明月院」はありました。


 

青御影の門柱が立ってます。


 

この通り、これから拝観する人帰りの人で大変な数でした。


 

以下、綺麗だった紫陽花を載せておきます。


 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 

暫く、人の列に従って歩いていると本堂らしき建物の前に

枯山水の立派な庭がありました。

余りの人の多さに何が何だか分からん状態でした。

松江でいうと「天神さんと水郷祭が一緒になった」状況です。


 

このお寺の紫陽花は、この青い色が有名だそうです。


 

このような竹林の部分もあり、静かな散策が出来ておれば

なかなかの所でしたがあまりにも人が多くて人に酔った感じでした(笑い)

 

 
 

電車道沿いの道路をこのような行列が続いていました。

「このまま東京に帰るのは、もったいない!!」と

いうことで鎌倉まで来たのだから鶴岡八幡宮にお参りしよう

と鎌倉駅に向かいました。  つづく