2017年3月29日水曜日

「和多見川 埋め立ての歴史」

3月26日、灘町の白潟ハウスで開催された「人参方町内会総会」

終了後、白潟ハウスのオーナー伊藤孝一さまから

昨年に続いて講演を頂きました。

昨年の「人参方の歴史」に続いて「和多見川埋め立ての歴史」です。

 
 
 
 

1830年(天保元年)ごろの松江城下の地図です。 


 

明治7年の地図


 

明治41年の地図。

昭和町や大正町、朝日町、伊勢宮町が地盤が低いのは、

この地図でも分かる通り沼地であったためです。

 
 

 

この写真は、現在の売布神社の先の大橋川と和多見川の河畔。




 

和多見川の埋め立ての工事祈願祭の様子(昭和8年)

 
 

 

2代目新大橋の開通式。

 

昭和10年のものです。


 

明治41年と昭和22年の地図上での比較


 

昭和22年、米軍が撮った写真。




 

平成18年の水害で影響があった所。


 
 
和多見川から道路にする前(2年前の昭和6年)の図面。
 

貴重な写真を基にデジタル化された披露しながら当社の前を

流れる川から戦車を通すための道路づくりが始まったようです。

 
 
 
 

2017年3月28日火曜日

満願寺さまの椿展!!

3月25日(土)西浜佐陀町高野山真言宗満願寺さまで

開催されている「椿展」に行ってきました。

 
 

一本の木から紅白の2種類の花を咲かせる「月の輪」という品種。


 

駐車場からの景観。

 

 
 




 
 

 

このように朱の大笠を立てて野点の雰囲気です。


 

先客のご婦人にご住職が椿の説明をされています!!


 

葉っぱが「金魚」の形をしている珍しい品種です。

そしてこの椿は、葉っぱの裏側に花を咲かせるそうです。


 

鉢植えも合わせ272種類の椿を丹精されているそうです。


 

ご住職のお勧めで朱笠の下で記念撮影を撮って頂きました。


 

高台にある歴代住職、寺族の墓所からの景観です。

こちらへは初めて登らせて頂きました。

 

 

そして客殿からは見たことがありますが本堂裏山の苔が

良くついている庭園です。


 

宍道湖の十六ハゲと言われる部分を見た後北側に廻り

檀家さんの墓所を拝見。


 

満願寺さまの「永代供養塔」です。

初めて見るデザインのお墓です。

 

 

永代供養塔の先には、湖北平野が一望できます。


 

境内を一巡して客殿に上がらせて頂きました。

この時期は玄関から「椿一色!!」です!!


 

部屋の壁面のディスプレイです。


 

お掃除地蔵さんです!!

 

『掃除地蔵様のおなし』


 

そして、お二人のお嬢様の作品の「お寺茶屋」のメニュー。


 

こうして、贅沢なひと時です!!


 

シフォンケーキとアイスクリームのセットです!!


 

帰りの駐車場は、車が沢山でした。

「椿」ばかりでなくご住職様ご夫妻、

そしてお二人のお嬢様の「お・も・て・な・し」に感激して

満願寺様を後にしました。

感謝です!!

 

2017年3月22日水曜日

感謝状贈呈!!

3月22日(水)自衛隊島根地方協力本部で開催された

転出者の離任式に参加しました。

 
 

ことしの春の異動では、3名でその内お一人は、

自衛隊家族会が5年間、大変お世話になりました荒木1尉が

鳥取県の倉吉の募集案内所にご栄転になります。


 

先日、長谷川本部長に

「離任式の時に家族会から感謝状をお贈りしたい」と

お願いし、快諾を頂き今日の贈呈の運びとなりました。

 

16時過ぎに本部長室で待機していますと

5階の会議室に案内され本部長以下隊員の方が

整列されてされているところへ

「小汀家族会会長の入場です」の号令で立ち位置に着きました。

 

そして、次第にに従って離任式が始まりました。




 

本部長の挨拶や離任者の挨拶があった後、私が指名され

登壇して荒木さんに感謝状と記念品を贈呈させて頂きました。


 
 
 

この感謝状と記念品は、東日本大震災の時に被災した

松を材料にした念珠にさせて頂きました。

 

 

感極まって謝辞を述べて頂いた荒木1尉。

 

これだけの想いで「家族会」に務めていたことに

改めて私も感動いたしました。

 



 

式が終了すると全員で記念撮影が行われました。


 

そして、見送りの列を作り拍手を持って3人のご栄転の方を

私も一緒にお送りさせて頂きました。

 

終了後、本部長室でこの度のご高配に対して感謝を申し上げ

13日の私の「祝う会」ご参加に対して御礼をお伝えいたしましたが

本部長からは

「とても、いい会に参加させて頂き有り難いことでした」

との言葉を頂戴し感激でした。

 

2017年3月20日月曜日

エレキ紙芝居by松村宏!!

3月14日(火)松江市竹矢町臨済宗安国寺隣接

かフェサロン「ごくらく亭」で開催された

「エレキ紙芝居」を見て聞いてきました。

 
 

演者は、「ゴロ画伯」という通称をもつ松村 宏さんです。

米子の方で先月の河崎さんのお話の時もご参加でした。

 
 
 
 

絵を描くことが得意でパワーポイントでの紙芝居、

すなわちエレキ紙芝居です。

最初は、感心引くためでしょうか先ず

「残念なテスト」を~~~と。


 
 

まず、私の名前が出てビックリポン!!(笑い)


 

いよいよ紙芝居の始まり始まり~~~!!

 

最初の紙芝居は、

「ポーランドは、白人社会では最も親日の国」で

あることが紹介されました。


 

隣接の国ロシアから侵略・迫害を受け、


日露戦争では、最前線で日本と戦い松山の捕虜収容所に

沢山収容されていたらしいです。

徳島のドイツ軍の俘虜収容所と一緒で日本の手厚い対応が

知れ渡り、ロシアとの戦闘の最前線部隊の

ポーランド人の兵隊は「まつやま~~」と

言うと合言葉のようになっていて戦闘中止になり

自ら日本軍の捕虜になったほどらしいです。

 
 

 

それから約100年今も変わらずポーランドは、

友好関係が続いているそうです。


 

私は、東洋のシンドラーと言われた杉原千畝との関係を

知っているくらいなものでしたが嬉しいことでした。

 

 

そして、2題目は、「パラオ」でした。

 

国旗も日の丸を摸して青字に黄色の月でセンターが

少し左にズレているものです。


 

この地図を見て初めてパラオの位置を知りました。

もっと太平洋のど真ん中に近い所と思っていました。


 

戦後、韓国が受注した橋だそうです。

 
 

 
 

それが突然、このように倒壊したんだそうです。

手抜き工事だったようです!!

 

 

太平洋戦争の時、米軍が上陸しそうな時期が来た時

とても親しくしていた日本人の指揮官から、パラオの原住民に対し  

「お前らのような土人と一緒には戦えない」と

言われ他の島に移された。

 

 

 その時の様子を孫に語るおじいさんの絵。

 

 
 

 

戦いが終わり、パラオの人が帰ってくると~~。

自分らの命を助けるための策であったことを知ることになる。

結果、アメリカ軍の歴史上、最も多く犠牲を払い

日本軍はほぼ壊滅状態でありながら民間人の犠牲者を

一人も出さなかった戦いとして知られている。

 


 

そう言うことがあり、パラオの人は、日本に対して大変に

尊敬してくれていて結果、国旗もこのような

日の丸に非常に似た国旗だそうです。

 

この話は、スサノオマジックの初代のチアリーダーの

キャプテン徳島優子さんから聞いていて

2年前の天皇陛下のパラオ訪問のエピソード

としても聞いていることでした。

 

 

3題目の話は台湾です。

4年前のWBCの時の話題です。


 

台湾の人々が日本贔屓なことはよく知られていることです。

特に我々に強く印象に残っているのは、

6年前の東日本大震災の時にどこよりも早く救援隊を贈ってくれて

義捐金も200億円を超える金額を送り届けて頂きました。


 

その台湾のチームが東京ドームで日本と戦うことになりました。

この試合会場で「台湾にお礼をしよう!!」とSNSで広め

台湾チーム側だけでなく球場全体で野球の勝負とは別に

プラカードでいっぱいになったそうです。

試合は、拮抗して台湾チームが歴史的な勝利目前で

惜敗をしたのです。

 

 
 

この試合終了後、台湾選手が全員東京ドームのマウンドの

周辺に円を描きスタンドに向かって90度のお辞儀をして

観客総員の万雷の拍手をスタンドの観客も贈ったそうです。

 

この後、参加の皆さんもそれぞれの感想や意見を述べたり、

松村さんに質問をして3時間以上の時間が

アッという間に過ぎていました。

 

今後、松村さんのネタ切れになるまでシリーズで

この講座を続けようということになりました。

なんとも楽しみです!!