3月26日、灘町の白潟ハウスで開催された「人参方町内会総会」
終了後、白潟ハウスのオーナー伊藤孝一さまから
昨年に続いて講演を頂きました。
昨年の「人参方の歴史」に続いて「和多見川埋め立ての歴史」です。
1830年(天保元年)ごろの松江城下の地図です。
明治7年の地図
明治41年の地図。
昭和町や大正町、朝日町、伊勢宮町が地盤が低いのは、
この地図でも分かる通り沼地であったためです。
この写真は、現在の売布神社の先の大橋川と和多見川の河畔。
和多見川の埋め立ての工事祈願祭の様子(昭和8年)
2代目新大橋の開通式。
昭和10年のものです。
明治41年と昭和22年の地図上での比較
昭和22年、米軍が撮った写真。
平成18年の水害で影響があった所。
和多見川から道路にする前(2年前の昭和6年)の図面。