松江城国宝化1周年!
7月8日(金)~7月10日(日)までの3日間
松江城国宝化1周年記念イベントが松江城周辺で開催されました。
初日の今日は、国宝指定のきっかけになった
祈祷札と鎮めものの本物が松江歴史館に展示をされる
ということで向かいました。
宇賀橋と北惣門橋の間をこの3日間だけの「花船」が通りました。
女性の船頭さんでした。
堀川遊覧船事務所の職員さんと思われる方が堀川の
藻の刈り採りと清掃をされていました。
先般の江戸の皇居周辺もそうでしたが、こうした普段の
積み重ねできれいになっているのですね。
松江歴史館の玄関前から天守を望みますと数人の
観光客の方の姿が見えました。
歴史館の玄関ロビーには、下村文部科学大臣発行の
国宝指定書が掲げてあります。
常設の展示室に祈祷札等が展示してありました。
慶長16年(1611年)松江城の完成の年号と一致する
大山寺の銘のある祈祷札で存在は話題になっていたのですが
所在が不明であったのが二の丸内にある松江神社に
保存されていたものです。
この4枚が、鎮宅祈祷札と言われる昭和の大修理の時に
柱や梁から発見されたものです。
真言密教の鎮宅の修法をした証明になるもののようです。
そして、これが鎮物と言われ昭和の大修理の時に裏鬼門の
礎石の下から発見されたものです。
祈祷関係の資料で最も歴史の古いもののようです。
説明書にも赤く「国宝」と表示してあります。
昨年は大変な話題を呼んでいましたが本物は初めての拝観でした。
メインの展示を拝観した後、松江藩の「藩校と私塾の流れ」の
コーナーを学びました。
桃 白鹿→文明館・明教館
桃 節山→文武館・修道館
雨森精翁の指導を受けたようです。
論語の会で教わった方の名前が沢山出ています。
澤野含斎、内村鱸香、若槻礼次郎、梅謙二郎などの
名前も出てきます。
そして江戸時代の松江の街並みの営みと当時の宍道湖に
沈む夕日のジオラマがあります。
当たり前のことですが夕日は、300年前も
400年前も同様だったわけです。
大橋川、松江大橋、そして白潟の江戸時代の建物や賑わいを
紹介したジオラマがあります。
大橋川の支流や遠く嵩山(寝仏さん)の景観が表されています。
正に「水縁プロジェクト」の対象地域でもあります。
ジオラマで表示された所の住宅地図です。
今からおおよそ300年前にこのような家並みがあったことに驚きます!!
堀尾3代の後、若狭の国から松江藩主として赴任した
京極忠高の斐伊川の土手(私の生まれ育った出雲市武志町)の
名称が「若狭土手」と言われる根拠。
そして佐陀川を開削した清原太兵衛の功績が紹介されている
治水の歴史。
今日の目的は、祈祷札などでしたがこうして常設展示室は、
勉強になることが沢山あります。
最期に、「きはる」で伊丹名工にもご挨拶して和菓子を頂きました。
この日は、この通り若い女性客が沢山。
カメラマンもいたり先生の周りは、とても賑やかでした。
この1周年の期間中、松江歴史館を訪れると
このカンバッチがプレゼントされます。
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