「島根県殉職隊員追悼式」
出雲駐屯地体育館において
現職隊員、来賓、主催者「隊友会」約400人の参加で
駐屯地ラッパ隊、儀仗隊も参加して遺族代表の
名原様(20年前に暴発事故でご主人殉職)も参加されて
「島根県殉職隊員追悼式」が厳粛に執り行われ参列してきました。
私は、島根県自衛隊家族会会長の立場で
初めてこの追悼式に参列を致しました。
写真のように体育館ステージ上に立派な祭壇が飾られ
15分前に着座というものでした。
祭壇の遺影の数は24柱。
家族会会長の札も追悼之碑の横に4番目に立ててあります。
上段、右端に私の少年工科学校の同期生
大田市出身の故小山正人さんの遺影が目に入りました。
小山さんは、私が少年工科学校に入校した島根県出身者
17人と共に15歳の時に横須賀に入校した同期の一人です。
昨年、母校(現在は、高等工科学校と名称変更)で
7月2日に岡部陸上幕僚長(当時)など来賓と私を含む
同期約120名も参列して50回忌追悼式を執行しています。
その時の様子を紹介したブログです。
追悼式終了後の記念写真です。
前列中央のご婦人が20年前に小銃の暴発事故で殉職された
故名原さんの奥様です。
来賓の皆さんや電報の電文にあった
「志なかばにして~~」という言葉は嫌いです!! と。
ご主人が武器の暴発で殉職されたそうですが
その後、関心をもって見ているが同様な事故は起きていない。
ということは、「主人の志は、今も生きている。
事故の反省に立って改善がなされた結果である」
そして、しばらくは、この慰霊祭も自衛隊にも距離を置いていた。
しかし、最近は違ってきた・・・・・・
という遺族謝辞でした。
遺影の一番新しい写真は、昨年浜松の航空自衛隊の
救難ヘリの機長をされていた大社町出身の
故花房さんでした。
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