この日のプレゼンターは、愛知県岡崎市からわざわざお越しになった島津瑞穂さんで主宰者、赤木香さんの叔父様に当たる方で元大手新聞社に勤務されていた方です。
テーマは、「樺太からの引き揚げ」でした。
奥が、安国寺さまの奥様(6月に樺太からの引き揚げの苦労話を聞いています)
中央が妹さん、手前が長女さんです。
引き上げの時は、小学校3年の長女さんが妹さん(当時8ヶ月)をおんぶして帰られたそうです。
南樺太に何故住むことになったのか、
昭和20年8月9日、ロシアが参戦することになった経緯をさすが新聞社の記者です。
貴重な地図や写真など沢山ご準備頂きご説明いただきました。
当時、南樺太には、王子製紙の工場が7箇所も有り、その工場で発電した電気を各家庭にも配電していたそうです。石炭の採掘もしたりニシン漁も盛んで裕福な街であったそうです。人口は40万人ほどで朝鮮人も4〜5万人いたそうです。
引き揚げの対象者は、日本人だけだったようです。
三度目の引き揚げ船で昭和22年5月に函館に上陸、そして京都に滞在されたそうですが
食糧難で縁があった新潟に移り住まれ、それぞれの成人すると順序東京、京都に移住されたそうです。
樺太での想像以上に安定した生活、そしてロシア軍が進駐して来てからの状況、詳しくお聞かせいただきました。
長女さんの「今、初めて話すけど、ロスケに銃を突きつけられて手を挙げた時の悔しさは忘れることができない屈辱だった」と何度もおっしゃっていたのが印象的でした。
大手新聞社で書棚で資料整理中に見つけた昭和20年8月に発行された南樺太の地図。
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