2016年9月27日火曜日

第2回JR松江駅前周辺整備構想検討委員会

松江市長から松江市中心市街地活性化協議会に検討依頼された

第2回「JR松江駅前周辺整備構想検討委員会」が

9月26日(月)10:00~12:00の2時間、開催され、

委員に指名されている私も参加しました。

 

会議所からは、水縁プロジェクトの3委員長が参加しています。


 

この日は、広島工業大学教授 伊藤さまから

「駅とまちのつなぎ方」について1時間10分の

講演をお聞かせいただきました。




さすが、大学の先生で今月の初めイギリス、ヨーロッパの

地方都市の駅前の再開発を実例をこと細かく説明頂きました。

 
 

こんな感じでイギリスのグラスゴー、ドイツのハイルブロン、

フランスのストラスブール。

 

 

これらの説明で多くの人が関心を持ったのが、

この図で示された道路の利用効率。

 

 

乗用車とバスと電車(LRT)の比較。


 

外国の事例紹介に続いて国内は、姫路駅、大分駅、

そして伊藤先生が自ら関わって広島駅の再開発に

ついての詳細説明がありました。

その後、委員から感想、意見について活発な発言がありました。


 

この委員会は、2回目ですが1回目の議事録がきちんと要約されて

提出されていました。








この地域の整備計画です!!

 

 

前回の1回委員会の後、地元山陰中央新報以下、5紙で

記事紹介されていました。


 
島根日日新聞

 
中国新聞

 
毎日新聞

 
建設興業タイムズ
 
 

以上5紙の新聞紙上で記事紹介されるほどの関心の高い 事業

でありますし、ご参加の委員の方、ワーキンググループの方が

それぞれご自身の高い見識とプレゼンテーション能力を

発揮して活発な協議がなされれている

ことに期待したいと思います。

これからも委員会開催について報告をして行きたいと思います。

 

 

2016年9月26日月曜日

高尾山分屯基地の観月会!


ちょっと前ですが、9月15日仲秋の名月の日(月齢13.7)に

松江市内に基地がある航空自衛隊高尾山分屯基地で

毎年恒例の観月会が開催され、父兄会会長としてご招待

いただきましたので「さちこ」さんと共に参加してきました。

 
 

この日は、商工会議所で水縁プロジェクトの第6回分科会を

開催しており、終了後すぐ帰宅して「さちこ」さんと共に

美保関森山に所在する基地に向かいました。

受付を終えると担当幹部が案内をして頂き

福岡米子駐屯地司令や堀地本部長、安河内出雲駐屯地

司令と同席の部屋でした。

 

 

暫くすると5台のマイクロに分乗してレーダーサイトの

山頂に向かいました。

途中、境水道には海上保安庁の巡視船が停泊していました。

 

 

元の七類港への山道を上がり、途中からレーダーサイト専用

の道路を上がります。  

くねくねとしたマイクロバスの車幅いっぱいの狭い道を眼下に

境港の灯りを見ながら到着しました。

20人ほどのテーブルが、6つ準備され、テーブルの上には

豪華な料理がすでに並んでいました。

高橋分屯基地司令以下あいさつの後、乾杯と音楽で

観月会のスタートです。

私は、今回3回目ですが一回は、雨で体育館で開催されました。


 

雲があり、はっきりとは見れませんでしたが何枚か撮った中で

左奥にぼんやりと月が見えたものです。


 

山頂の高さは、正確には聞けませんでしたが

おおよそ350メートルくらいと思えます。

この高尾山分屯基地は、第7警戒隊の基地で約150人位の

航空自衛隊の基地で航空機の監視など

機密情報も扱う部隊です。

ことしの6月父兄会の総会の翌日、防衛省の

募集会同で初めて知ったのですが航空自衛隊のスクランブル

も含め陸海空の3自衛隊の中でも最も緊張した

日頃の活動をしていることを知りました。

 

そうした中で一般人をこうして沢山招いての観月会を

開催されていることに感謝です。

 

2016年9月25日日曜日

「スクールMARIKO」2016最終回!!

4年目の「スクールMARIKO」今年度5回予定されていた最終回。

なんとか出席出来ました。

今年は、5回開催されましたが2回しか受講できませんでした。

でも2回とも若い女性歌手と日直、浜田真理子さん

との「トーク&ライブ」でした。

 
 

9月24日(土)15:00~17:00カラコロ工房地下金庫室にて開催。

 

 

過去に発刊された「スクマリレター」が会場壁面に展示されていました。


 

ユーモア満載の軽妙なトークで始まりました。


 

そして、この日のゲスト堀下さゆりさんが登場!!

初めての島根、松江だそうです。


 

仙台にお住まいで、ご主人とお子さんと御一緒にいらしたそうです。


 

3.11の時には実家の相馬市の自宅にいて2時46分の

地震を経験されたそうです。

暫く、音楽活動ができなかったが被災地の

子供たちを音楽で救いたい!!という思いで

『福島の子供たちに笑顔をプロジェクト』を始動。

相馬地区の22校1307名の子供たちとのコラボで

チャリティアルバム「スマイル」をリリース。

これは経費を除いた収益は、すべて子供たちのため

に寄付されたようです。


 

真理子さんとのトークショーが終わると堀下さゆりさんのライブです。

ピアノの演奏パフォーマンスも素敵だし、唄も透明感の

ある声でリズム感たっぷりの3曲でした。  


 

パワーポイントで福島での映像も映し出されました。

 

 

そして、浜田真理子さんの出番です。

 

画面にコスモスが~~。


 

ピアノの前に座るなり

「幼稚園も小学校も呼ばれないな~~」と~~。

 

一気に大人の雰囲気の(曲名は分かりません)曲、

たしかになんとなくくらい、情感いっぱいの曲と演奏です。

トーク、MCと同じ人かと思うほど艶のある曲の数々です。


 

今年から、最後に「皆さんと一緒に歌う」曲は、

今日は、スコットランド民謡「故郷の空」でした。

 

 

今年の5回の「スクマリ」はこの日で終了。


 

皆勤賞、約10人位でしたか~~。

スタッフがアナウンスして本日のゲスト堀下さんが

『皆勤賞』の賞状を記念品と一緒にお渡しになりました。

これだけの有益な「スクールMARIKO」

を継続し、問題提起をして頂いています。

 
 

最期にスタッフ全員が随時紹介されました。

主催者浜田真理子さんはもちろん、この方々のご尽力があって

こうした勉強会?が運営されている訳で

皆さんから感謝の拍手が凄い温かいものでした。

私は、用務があったため参加しませんでしたが

山形県から指導者が来られて「芋煮会」が

カラコロ工房テラスで開催され、

真理子さんのかぶりものでのお・も・て・な・しも

あったり、またサプライズで誕生日が近い真理子さんに

素敵なデコレーションのケーキがプレゼントもされたそうです。

 

おめでとうございます!!

そして、有難うございます!!

 
 

2016年9月22日木曜日

異業種交流会「知新会」9月例会「楽山窯」!!

知新会の9月例会は、楽山窯の12代長岡空郷氏に

『楽山焼きと私の修行』という演題でお話をお聞きいたしました。

 

このとおりとても気さくな方で

「先日の講演で早口で話しをしてしまったので夜でもあるし、

ゆっくり話をさせて頂きます」

と断わって座っての話でした。

 
 
 

32歳で11代長岡空権氏の三女と結婚。

33歳で陶芸の道に入り、40歳で楽山窯で空権氏と共に

作陶に励み、4年後には田部美術館大賞に入選。

48歳で12代「空郷」の号を得る。

7年間の修業時代は、「見て覚える」ことであったが

この20年この「見て覚える」ことの大切さを身を持って

体感したと仰ってました。

 

 

パワーポイントで2年後は、松平不昧公の没後200年の

大行事があることを紹介し、

「松江は、この13席の茶会を成功させるかどうか 、どうかで

その後の50年間の松江のお茶、お菓子の評価が決まる」とも

指摘されていました。

 

 

自らの作品も含め、茶碗を展示し、時たま席を立って

茶碗の説明をして頂きました。

 

 

左は、俵茶碗と言われる祝いの席で多く使用

される茶碗だそうです。

 

 

楽山窯は、萩焼の流れを継承した東のはずれの窯で

萩焼と京焼と備前の丁度中間的な場所でもあり、

それぞれの影響を受けながら偶然にも作陶集団が出来ずに

一軒だけで窯を継承してきた誠に、珍しい窯元だそうです。

 

 

楽山焼きの窯元、長岡家の門。

 

京都の楽家とか永楽家は、千利休を祖とする侘び茶を

嗜む人の茶器を作陶。

楽山窯は、それに対し地元の藩主以下武士のお茶を嗜む

武家茶道の作陶をする窯である。

 

 

先代作の陶器の表札。

 

茶道は、江戸時代までのものと明治以降は

随分違うものになってきた。

今日のように道具屋が出来たのは明治以降である。

長岡家は、作陶集団が出来ずに一軒で340年の歴史を誇る

全国でもまれな窯元である。

楽山窯の創設者は、倉崎権兵衛重由で5代の長岡住右衛門貞政が

松平不昧公の庇護を受けたそうです。

 
 

 

形も大きさも構造も特徴的な楽山の登り窯。

 

槇4トンを焚きながらの1,200度の温度を保つ技術が最も

継承の重大な部分だそうです。

温度は、温度計もあるが「火の色で分かる」そうです。

 

 

材料の土は、萩から30年に一度購入。

槇はその都度こうして年々高価になって行くが買うしかないそうです。

 

 

萩焼の伝統を酌むので絵付けをするのにも地が白でなく

ざらざらした色のついた陶器に絵付けをするのが

楽山焼きの特徴だそうです。

 

周辺の窯元のことも講演終了後、お尋ねしたのですが

気さくにお答えいただきました。

 

 

講演の最後は、何時ものように井田会長が代表して

謝辞を述べて終了でしたが、とても有益な講演でした。

 
 

最も印象に残っているのは、

2年後の「不昧公没後200年のイベントを成功させないと

その後の50年に大変な影響を与えてしまう」

と言う言葉でした。