親戚でもあり、父の民芸友達であった斐伊川和紙の
井谷岩夫さんが88歳の米寿の年に永眠されました。
三刀屋での葬儀の参列してきました。
故井谷さんは、私が小学校の1年か2年の頃に父に誘われて
出西窯に何度か行っていますが、その時にお目にかかったことがあります。
当時は、出雲の開業医、岸本先生が民芸協会の会長をされており
出西窯の多々納さんや井谷さんが役員で父は、
事務局を担当していたようでした。
葬儀開式の前にスクリーン上に<在りし日の思い出>
が紹介されました。
音楽にとても才能を発揮し、バイオリンの演奏をして
施設の慰問などもなさっていたようでした。
三味線も嗜んでいらっしゃったようです。
障子紙や壁紙の生産が主であった斐伊川和紙を民芸紙として
確立されて現在の当主 井谷伸次氏に受け継がれています。
婚礼写真も披露されていました。
「さちこ」さんの実家の親戚でもあり、子供の頃からの父の友人でもあり
仏壇の原田の時には、この日の葬儀の導師をお勤めでありました
菩提寺の本堂の荘厳具を納めさせて頂きました。
また、盆提灯の「斐伊川和紙シリーズ」の紙の提供を
試作段階から協力頂いていました。
本当にありがとうございました。
伸次氏の喪主挨拶で
「父に叱られたことはありませんでした」
「いつも、せわね せわね と励ましてくれました」
との言葉が深く印象に残りました!!
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