「仏壇の原田」経済ウイークリーに記事掲載!!②
山陰中央新報社が毎週発刊している「週刊山陰経済ウイークリー」に
先週から当社、『仏壇の原田』が紹介されています。
10月9日号が2回目でした。(通算2091号)
今回は、「浸透」です。
現在の出雲の本店と昭和50年に松江市に開店をした
43年前の松江店の写真。
この年の8月2日に初出勤をしてお盆まで毎日
お仏壇の納品の手伝いを続けていました。
3月に「さちこ」さんと結婚して直ぐ子供を授かりました。
私の勝手で参議院議員秘書を退職、仏壇屋になることを
結婚、半年後に決断したことについてきてくれました。
身重の8か月で引っ越しや10月19日の松江店オープン
に向けて大車輪の活躍をしてくれました。
次の年の昭和51年には、米子店を9号線高島屋前の
角盤町に出店しました。
「仏壇のぶの字も知らず」に、毎日、お客様から教えて
頂きながらの商売の始まりでした。
でも時代が良くてずぶの素人でも
「やる気」だけでも十分に成果を上げることは出来ました。
もちろん当時の原田庄七社長が毎日
松江に通って指導をして頂きましたが
何分とても多忙な方でもあり、振り返ってみると
「良くできたなあ~~」と感じます!!
昭和54年に創業85年を迎え、一畑薬師さまの参道入り口に
大きな石柱の寄進とこの写真にある
一畑灯篭(湖北線一畑口)の寄進をしています。
これは、山陰中央新報の広告です。
毎週土曜日の一面の下段3段抜きで
年間50回、平成11年頃まで25年間継続した広告欄です。
一番上が昭和50年12月31日付け。
そして2段目が昭和51年1月6日のものです。
出雲観音霊場を再興しようと一畑寺の当時の
管長飯塚幸謙師と社長と思いで山陰中央新報の一面に
当社の広告として札所めぐりの紹介をすることになり、
社長からの指名により私がこの広告の
デザインをすることになりました。
毎週「日本の美しい心」や「仏壇の原田」を
大きく出すことは出来ないので2段目のように外側に
帯状の枠を入れてその中に「仏壇の原田」「日本の美しい心」
さらに住所を入れるデザインにしました。
結果25年間このシリーズは、継続されました。
このような重要なことを入社半年も満たない私に全面的に
任せてくれた庄七社長には感謝です。
このこともですが社長は、当時25歳の何の経験もない
私に全て任せてくれました。
私にとって人生最大、最高の理解者です。
忘れもしない8月の30日に、この建物で商売をされて
いた島根ペイントの江沢社長と面談して
その日の内に借家交渉して1か月半後の10月19日に
この店舗で松江店をオープン。
わずか入社2ヶ月の24歳で「原田仏壇製作所」の
松江店店長に就任することになりました。
明治時代に建築されたと思われる建物を改造しての新店舗でした。
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