2016年2月13日土曜日

白潟歴史まち歩き楽会「松江城国宝指定の意義と課題」

久しぶりに「白潟歴史まち歩き楽会」例会に参加してきました。

今回は、「松江城国宝しての意義と課題」と題して

NPO法人松江ツーリズム研究会の安部 登先生を

講師に迎え開催されました。

 
 

始めにこの会の幹事、仁田先生が開会のあいさつを述べられ

講師安部先生をご紹介されました。

 


沢山の資料を作成頂いていました。


 
 

資料の年表に従ってお話を頂きました。

特に明治2年の藩籍奉還により全国にあった175の

立派な城が廃城されることになった。

米子城などはその代表的な例で立派な城を

市民の手で壊したらしいです。

 

 

松江城は、明治8年に当時陸軍省の管轄で会ったものを

斐川の豪農勝部本右衛門栄忠、雑賀に住む松江藩士高城権八が

180円で広島の鎮台から買い上げた。

当時の処分価格は、なんと姫路城が  28円

        米子城  37円

             彦根城 800円だったそうです。

この金額を現在の貨幣価値にすると~~いくらになるのか?

この件について松江市の公式発表がされていない。

市長は、540万円と言っているが

担当部長は、120万円とも言っている。

この辺は、日銀に問い合わせればすぐわかる訳ですがなされていない!!

 
 

この話題で勝部本右衛門は豪農としか知らなかったのですが

銅山経営もしていたようです。

 

(蛇足ですが論語の会の先生からも勝部本右衛門の話は、

幕末の頃の松江の家老に準じた儒学者との関わりも

紹介いただいています。

 
 

そして陸軍広島鎮台の陸軍工兵大尉、齊藤直演(なおただ)の

尽力があってのことであったようです。

安部先生が強く訴えられたのは、

「この3人の顕彰をちゃんとすべき!!」ということでした。

全く同感であります。

「このことは市長にも随分言っているが聞き入れてもらえない」

とも仰っていました。

 

この度の「国宝化」の御礼に

堀尾公の墓参と出身地愛知県大口町には、行っているが

勝部家や高城家には何のアクションがない!!

とも仰ってました。

 

 

この資料は、廃城についての当時の政府からの指示書だそうです。

 

 

この後、松江城が他の12城と比べても決して5番目とかその下ではない。

少なくとも2番目か3番目にランクされてしかるべき名城である。

 

 

そのことは、先日東京で開催された「松江城天守国宝のシンポジューム」

の資料を手に力強く説明されました。

合わせてその時に天守は国宝にされたが、

この写真にも電柱や電線が沢山写っている。

こういうことでは、いけない。

「環境整備をちゃんとすべき」と市民・行政が

今後意識をしてなすべきことがあるとの指摘がありました。

仰る通りです。

 

 

この度の国宝指定の根拠となったのは、建築様式と2枚の祈祷札

であることを改めて指摘されました。

 
 

 

自宅に帰って夕方何気なくTVを見ているとマーブルで

東京で開催されたシンポジュームの様子を録画で流していました。

 
 
 
 

さらに終わると一週間の総集編では、11日にテルサで開催された

松江でのシンポジュームの様子も紹介されていました。

先月の白潟公民館で松浦市長が行政の反省を

含めての国宝化の経緯と共にとても詳しく教えて頂き

初めてお聞きすることの多い貴重な楽会でした。

 
 

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