2017年2月9日木曜日

45年ぶりの大島を着て~~!!

母が45年前に私のために作ってくれていた

大島紬の着物を着て外出しました。

 

正月、出雲の家に立ち寄った時に和服の衣装箱を発見、

中身が45年前に和裁の仕立てをして生計を助けていた

母が私のために作ってくれていた大島紬の着物が

仕付け糸が付いたままありました。

 
 
 

私の母は、娘の頃から叔母さんに和裁を教えてもらい

父と結婚してからも家計を助けるためと丁寧な仕事ぶりが

評価され出雲市内の呉服屋さんの仕立てもしていました。

この絵は、母の弟が酒の販売の仕事をしながら好きで書いていた

油絵が日展に二回ほど入選するほどのものでしたが、

その叔父が母が亡くなって数年後、母が迎えてくれていたことを

思い出し、私に届いた絵葉書です。

この絵の上には、

 

お針の手  休めてお茶を  姉は逝き

 

閉ざされし家に  木の葉舞い散る

 

という短歌も書かれています。

 
 

この大島の和服と同じケースに入っていた沢山の写真の一枚。

両親です。

 

 

松江に持って帰って昨年、「浴衣デート」に

お付き合いを頂いた渚さんに来て頂いて「仕付け糸」が

付いたまま試着した時の写真です。

 
 
 

そして、2月6日(月)。

予てから「和服でお会いしましょう」と約束をしていた

岡本さん、坂村さんの御二方と北松江のスナック『華』に

向かいました。

着くとオーナーの娘さん、植田さんが写真を撮ってくれました。

皆さんに大好評を頂きました。

「おかあさん孝行だわ~~」ともおっしゃって頂きました。

先月の「志大塾」でこの大島のいきさつをお話していたからと思います。

 
 
 

それは、私が海上自衛隊航空学生であった22歳の時に

年末冬休みで帰省した時に

「大島のきものを作ったので正月に着るだわ~」と言われていましたが

当時は、雪さえあれば休みは大山で泊りがけでスキーをしていたので

その冬もその後の休みも、そして仏壇屋になってからは

松江に住んでおり、とうとう着ていませんでした。

 

それが、昨年から堀川小町が松江にも出来て浴衣を着たことが

きっかけで和服に関心を持ち出雲の家に帰ると押入れを

探していました。

正月明けに、やっと見つけたものです。

 
 
 
 

沢山の写真の中には、航空学生の頃の4人乗りの

練習機KM-2の翼の上での私です。

 
 
 
 

この写真は、外出のときのサングラスのカッコつけた私です。 

 
 

航空学生の時の黒のダブルの制服を身に着けた

数少ない写真の一枚です。

 
 

こうして66歳になって母が私のために作っていてくれた

大島紬の和服を着て歩くきっかけを頂きました皆様に

感謝を申し上げたいと思います。

岡本、坂村両先輩にも心から感謝を致します。

有り難うございました!!

0 件のコメント:

コメントを投稿