2017年3月20日月曜日

エレキ紙芝居by松村宏!!

3月14日(火)松江市竹矢町臨済宗安国寺隣接

かフェサロン「ごくらく亭」で開催された

「エレキ紙芝居」を見て聞いてきました。

 
 

演者は、「ゴロ画伯」という通称をもつ松村 宏さんです。

米子の方で先月の河崎さんのお話の時もご参加でした。

 
 
 
 

絵を描くことが得意でパワーポイントでの紙芝居、

すなわちエレキ紙芝居です。

最初は、感心引くためでしょうか先ず

「残念なテスト」を~~~と。


 
 

まず、私の名前が出てビックリポン!!(笑い)


 

いよいよ紙芝居の始まり始まり~~~!!

 

最初の紙芝居は、

「ポーランドは、白人社会では最も親日の国」で

あることが紹介されました。


 

隣接の国ロシアから侵略・迫害を受け、


日露戦争では、最前線で日本と戦い松山の捕虜収容所に

沢山収容されていたらしいです。

徳島のドイツ軍の俘虜収容所と一緒で日本の手厚い対応が

知れ渡り、ロシアとの戦闘の最前線部隊の

ポーランド人の兵隊は「まつやま~~」と

言うと合言葉のようになっていて戦闘中止になり

自ら日本軍の捕虜になったほどらしいです。

 
 

 

それから約100年今も変わらずポーランドは、

友好関係が続いているそうです。


 

私は、東洋のシンドラーと言われた杉原千畝との関係を

知っているくらいなものでしたが嬉しいことでした。

 

 

そして、2題目は、「パラオ」でした。

 

国旗も日の丸を摸して青字に黄色の月でセンターが

少し左にズレているものです。


 

この地図を見て初めてパラオの位置を知りました。

もっと太平洋のど真ん中に近い所と思っていました。


 

戦後、韓国が受注した橋だそうです。

 
 

 
 

それが突然、このように倒壊したんだそうです。

手抜き工事だったようです!!

 

 

太平洋戦争の時、米軍が上陸しそうな時期が来た時

とても親しくしていた日本人の指揮官から、パラオの原住民に対し  

「お前らのような土人と一緒には戦えない」と

言われ他の島に移された。

 

 

 その時の様子を孫に語るおじいさんの絵。

 

 
 

 

戦いが終わり、パラオの人が帰ってくると~~。

自分らの命を助けるための策であったことを知ることになる。

結果、アメリカ軍の歴史上、最も多く犠牲を払い

日本軍はほぼ壊滅状態でありながら民間人の犠牲者を

一人も出さなかった戦いとして知られている。

 


 

そう言うことがあり、パラオの人は、日本に対して大変に

尊敬してくれていて結果、国旗もこのような

日の丸に非常に似た国旗だそうです。

 

この話は、スサノオマジックの初代のチアリーダーの

キャプテン徳島優子さんから聞いていて

2年前の天皇陛下のパラオ訪問のエピソード

としても聞いていることでした。

 

 

3題目の話は台湾です。

4年前のWBCの時の話題です。


 

台湾の人々が日本贔屓なことはよく知られていることです。

特に我々に強く印象に残っているのは、

6年前の東日本大震災の時にどこよりも早く救援隊を贈ってくれて

義捐金も200億円を超える金額を送り届けて頂きました。


 

その台湾のチームが東京ドームで日本と戦うことになりました。

この試合会場で「台湾にお礼をしよう!!」とSNSで広め

台湾チーム側だけでなく球場全体で野球の勝負とは別に

プラカードでいっぱいになったそうです。

試合は、拮抗して台湾チームが歴史的な勝利目前で

惜敗をしたのです。

 

 
 

この試合終了後、台湾選手が全員東京ドームのマウンドの

周辺に円を描きスタンドに向かって90度のお辞儀をして

観客総員の万雷の拍手をスタンドの観客も贈ったそうです。

 

この後、参加の皆さんもそれぞれの感想や意見を述べたり、

松村さんに質問をして3時間以上の時間が

アッという間に過ぎていました。

 

今後、松村さんのネタ切れになるまでシリーズで

この講座を続けようということになりました。

なんとも楽しみです!!

 
 
 
 

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