2016年7月12日火曜日

松江城国宝化1周年!

7月8日(金)~7月10日(日)までの3日間

松江城国宝化1周年記念イベントが松江城周辺で開催されました。

初日の今日は、国宝指定のきっかけになった

祈祷札と鎮めものの本物が松江歴史館に展示をされる

ということで向かいました。

 

 

宇賀橋と北惣門橋の間をこの3日間だけの「花船」が通りました。

女性の船頭さんでした。

 
 
 

堀川遊覧船事務所の職員さんと思われる方が堀川の

藻の刈り採りと清掃をされていました。

先般の江戸の皇居周辺もそうでしたが、こうした普段の

積み重ねできれいになっているのですね。

 

 

松江歴史館の玄関前から天守を望みますと数人の

観光客の方の姿が見えました。


 

歴史館の玄関ロビーには、下村文部科学大臣発行の

国宝指定書が掲げてあります。


 

常設の展示室に祈祷札等が展示してありました。


 

慶長16年(1611年)松江城の完成の年号と一致する

大山寺の銘のある祈祷札で存在は話題になっていたのですが

所在が不明であったのが二の丸内にある松江神社に

保存されていたものです。


 

この4枚が、鎮宅祈祷札と言われる昭和の大修理の時に

柱や梁から発見されたものです。

真言密教の鎮宅の修法をした証明になるもののようです。


 

そして、これが鎮物と言われ昭和の大修理の時に裏鬼門の

礎石の下から発見されたものです。

祈祷関係の資料で最も歴史の古いもののようです。

 

 

説明書にも赤く「国宝」と表示してあります。

 

昨年は大変な話題を呼んでいましたが本物は初めての拝観でした。

 
 

 

メインの展示を拝観した後、松江藩の「藩校と私塾の流れ」の

コーナーを学びました。

桃 白鹿→文明館・明教館

桃 節山→文武館・修道館  

雨森精翁の指導を受けたようです。

論語の会で教わった方の名前が沢山出ています。

 

 

澤野含斎、内村鱸香、若槻礼次郎、梅謙二郎などの

名前も出てきます。


 

そして江戸時代の松江の街並みの営みと当時の宍道湖に

沈む夕日のジオラマがあります。

当たり前のことですが夕日は、300年前も

400年前も同様だったわけです。


 
 

大橋川、松江大橋、そして白潟の江戸時代の建物や賑わいを

紹介したジオラマがあります。

大橋川の支流や遠く嵩山(寝仏さん)の景観が表されています。

正に「水縁プロジェクト」の対象地域でもあります。


 
 

ジオラマで表示された所の住宅地図です。

 

今からおおよそ300年前にこのような家並みがあったことに驚きます!!

 
 

 

堀尾3代の後、若狭の国から松江藩主として赴任した

京極忠高の斐伊川の土手(私の生まれ育った出雲市武志町)の

名称が「若狭土手」と言われる根拠。

そして佐陀川を開削した清原太兵衛の功績が紹介されている

治水の歴史。

 

今日の目的は、祈祷札などでしたがこうして常設展示室は、

勉強になることが沢山あります。

 
 
 

最期に、「きはる」で伊丹名工にもご挨拶して和菓子を頂きました。

この日は、この通り若い女性客が沢山。

カメラマンもいたり先生の周りは、とても賑やかでした。

 
 

 

この1周年の期間中、松江歴史館を訪れると

このカンバッチがプレゼントされます。

 
 
 

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