2018年10月8日月曜日

「仏壇の原田」経済ウイークリーに記事掲載!!②

山陰中央新報社が毎週発刊している「週刊山陰経済ウイークリー」に

先週から当社、『仏壇の原田』が紹介されています。

10月9日号が2回目でした。(通算2091号)

 
 
 

 1回目は、10月2日号です。

その時のブログです。

http://obamayasuhisa.blogspot.com/2018/10/blog-post_6.html

第1回は副題が「宮大工」でした。

 

 

  今回は、「浸透」です。

 

 
 

現在の出雲の本店と昭和50年に松江市に開店をした

43年前の松江店の写真。

 

この年の8月2日に初出勤をしてお盆まで毎日

お仏壇の納品の手伝いを続けていました。

 

3月に「さちこ」さんと結婚して直ぐ子供を授かりました。

私の勝手で参議院議員秘書を退職、仏壇屋になることを

結婚、半年後に決断したことについてきてくれました。

 

身重の8か月で引っ越しや10月19日の松江店オープン

に向けて大車輪の活躍をしてくれました。

 

 
 

次の年の昭和51年には、米子店を9号線高島屋前の

角盤町に出店しました。

 
 

 

 

「仏壇のぶの字も知らず」に、毎日、お客様から教えて

頂きながらの商売の始まりでした。

 

でも時代が良くてずぶの素人でも

「やる気」だけでも十分に成果を上げることは出来ました。

もちろん当時の原田庄七社長が毎日

松江に通って指導をして頂きましたが

何分とても多忙な方でもあり、振り返ってみると

「良くできたなあ~~」と感じます!!

 

 

昭和54年に創業85年を迎え、一畑薬師さまの参道入り口に

大きな石柱の寄進とこの写真にある

一畑灯篭(湖北線一畑口)の寄進をしています。




 

 これは、山陰中央新報の広告です。

毎週土曜日の一面の下段3段抜きで

年間50回、平成11年頃まで25年間継続した広告欄です。

一番上が昭和50年12月31日付け。

そして2段目が昭和51年1月6日のものです。

 

出雲観音霊場を再興しようと一畑寺の当時の

管長飯塚幸謙師と社長と思いで山陰中央新報の一面に

当社の広告として札所めぐりの紹介をすることになり、

社長からの指名により私がこの広告の

デザインをすることになりました。

 

毎週「日本の美しい心」や「仏壇の原田」を

大きく出すことは出来ないので2段目のように外側に

帯状の枠を入れてその中に「仏壇の原田」「日本の美しい心」

さらに住所を入れるデザインにしました。

結果25年間このシリーズは、継続されました。

 

このような重要なことを入社半年も満たない私に全面的に

任せてくれた庄七社長には感謝です。

このこともですが社長は、当時25歳の何の経験もない

私に全て任せてくれました。

私にとって人生最大、最高の理解者です。


 

忘れもしない8月の30日に、この建物で商売をされて

いた島根ペイントの江沢社長と面談して

その日の内に借家交渉して1か月半後の10月19日に

この店舗で松江店をオープン。

わずか入社2ヶ月の24歳で「原田仏壇製作所」の

松江店店長に就任することになりました。

 

平成23年10月19日のブログを掲載しておきます。

http://www.butsudannoharada.com/blog/2011/10/post-472.html

 

明治時代に建築されたと思われる建物を改造しての新店舗でした。




 

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