2016年1月15日金曜日

戦国時代の名医「曲直瀬道三」

NHKテレビの「歴史ヒストリア」1月13日の放送は、「曲直瀬道三」

この番組のことは、3日に新年のご祈念に御邪魔した

満願寺さまから教えて頂きました。

満願寺さまには、毛利元就公の御手植えの「玉椿」が本堂前の

境内中央に玉垣の中に古木が400年余りの年を重ねています。

その毛利元就が病気の時に京都から呼び寄せた

名医が「曲直瀬道三」です。

 
 

両親が早くなくなった道三は、自ら勉強して医者の道を目指した。

それが有名な「足利学校」で昨年11月

訪問した岡山の閑谷学校とよく似た戦国時代の日本での

初めて学校でした。

 

 

講堂の中もこうしてよく似ています。


 

孔子の座像が祀ってあります。


 

ここで指導を受けたのが、

この像の「田代三喜」です。

三喜は、薬の処方は一律でなく病人の状況に合わせて調合を

変えての投薬をしていました。

この師匠に弟子入りして医学に励みます。


 

名医として名を馳せている時に出雲の尼子を打つために

松江宍道湖湖畔、満願寺に投宿していた毛利元就が病気になり

京都から出雲に請われて診療に来た。

その時に元就が植えたという「玉椿」が

今日も満願寺さまではきれいな花をつけています。

三日の日にも、すでに6輪ほど咲いていました。

この時に戦いの中心にいる元就を助けることは、他の武士の

命を絶ってしまうことになり、治療に逡巡するが、

元就は、その「曲直瀬道三」の心中を察して

尼子の主従の命は助けたそうです。

 
 

この椿が毛利元就公御手植えの「玉椿」です。


由緒書きの御影石の標柱です。

満願寺さまがテレビの中で紹介された動画です。

 

 

全宗(ぜんそう)という弟子と名医としての地位を築くが

全宗は、秀吉のご用医者になってしまう。

 

 

しかし、道三は地位階級を問題とせず病人であれば

だれでも平等を貫いて治療に当たった。


 

現在でも医療の役に立っている「ツボ」を利用した治療で

沢山の人の命を助けた名医であったようです。

 

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