2016年1月26日火曜日

「我ら降伏せず」を読んで

昨年、サイパンに行かれた朝妻さんから先日「プレゼントします。」

と頂戴した岡田徳祐さん著作の「我ら降伏せず」と言う

231ページの本を2日で読破しました。

 
 

昭和22年に帰国して以来、作戦図などを基に

ご自身の体験記です。

GHQから「発禁処分」を受けた実録サイパン戦記です。

 
 

 

上の写真は、終戦から3か月半、抗戦をつづけ最終的に47人で

占領していた米軍に対して完全武装で「停戦協定」を結ぶ。


 

岡田さんが引き揚げて来た時に遺族から

「あなたは、なぜ生き残れたのか」

言われ狼狽、胸が痛かった。

そして、帰国後この実戦記を書いたことが描かれています。


 

GHQから「発禁処分」を受け、日の目を見なかった

原稿を再び本にしたが、あまりの残酷さのため

再び陽の目を見ることが無かった。

しかし、昭和58年アメリカ軍の戦記が発表された。

 

これは、勝った側の目で見たサイパン戦であり、

負けた側の体験は、そんなものではなかった!!

 
 
 

 

最初は、満州に派遣されていて何の情報もなく結果、サイパンに行った。

しかし、サイパンに着くまでに輸送船が沈められ

約10,000人の兵士は、戦わずに海の藻屑となった。

3章では、多いに想像される司令部の有名な中将など

参謀などは、兵士の生死をかけた戦いとは別世界の

洞窟生活をおくっていたことも描写されています。


 

日本軍の敗戦に次ぐ敗走の中でサイパン在住の

日本人開拓者などが妻子を殺す場面。

アメリカ軍のパイロットに女性がいたこと。

自決したと言われた司令官が生きていた。

従軍看護婦の集団自決の様子。

断崖からの集団投身自殺(万歳クリフのこと)

この辺りは、読み進むのがつらくなります。

 

 

戦争の情景を表したドラマや映画、書物など沢山見て,

読んできた私ですが、これほどの実録は初めてです。

  
 

描写してある状況下でこれだけの詳細の記録が残されている

ことに感動します。

岡田徳祐氏は、昭和27年から教員になり、

昭和54年に大阪の小学校の校長を最後に退職をされているようです。

私ら戦後生まれの者は、こうした現実と戦争の

悲惨さを良く知るべきと思います。

そして、二度とどんなことがあっても戦争をしない世界をつくって

いかねばならないと思います。

 

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