2018年11月30日金曜日

「島根県殉職隊員追悼式」

出雲駐屯地体育館において

現職隊員、来賓、主催者「隊友会」約400人の参加で

駐屯地ラッパ隊、儀仗隊も参加して遺族代表の

名原様(20年前に暴発事故でご主人殉職)も参加されて

「島根県殉職隊員追悼式」が厳粛に執り行われ参列してきました。

 
 
 

私は、島根県自衛隊家族会会長の立場で

初めてこの追悼式に参列を致しました。

写真のように体育館ステージ上に立派な祭壇が飾られ

15分前に着座というものでした。


 
 

祭壇の遺影の数は24柱。

家族会会長の札も追悼之碑の横に4番目に立ててあります。


 

上段、右端に私の少年工科学校の同期生

大田市出身の故小山正人さんの遺影が目に入りました。

小山さんは、私が少年工科学校に入校した島根県出身者

17人と共に15歳の時に横須賀に入校した同期の一人です。

昨年、母校(現在は、高等工科学校と名称変更)で

7月2日に岡部陸上幕僚長(当時)など来賓と私を含む

同期約120名も参列して50回忌追悼式を執行しています。

 
 

その時の様子を紹介したブログです。

 

http://obamayasuhisa.blogspot.com/2017/07/blog-post_6.html

 


追悼式終了後の記念写真です。

前列中央のご婦人が20年前に小銃の暴発事故で殉職された

故名原さんの奥様です。

 
 

来賓の皆さんや電報の電文にあった

「志なかばにして~~」という言葉は嫌いです!! と。

 

ご主人が武器の暴発で殉職されたそうですが

その後、関心をもって見ているが同様な事故は起きていない。

ということは、「主人の志は、今も生きている。

事故の反省に立って改善がなされた結果である」

そして、しばらくは、この慰霊祭も自衛隊にも距離を置いていた。

しかし、最近は違ってきた・・・・・・

 

という遺族謝辞でした。




遺影の一番新しい写真は、昨年浜松の航空自衛隊の

救難ヘリの機長をされていた大社町出身の

故花房さんでした。

 

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